ソルボンヌK子のブログ

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重巡最上のミッドウェイ

 戦争当時、現場にいて、生き残った人が書いた本がある。30巻ぐらいあるが、図書館にそのうちの半分ぐらいあったので、借りてきた。ミッドウエー海戦を書いたものがあったので。日本人が書いた、ミッドウエーです。


 その人は、最上という船の艦長をしていた。曾爾章氏。後には那智の艦長になる。


 最上は、攻撃を受けたけど、沈没はしなかった。その艦長は、他の船がどう戦ったかとか、それは書いてない。ただ、最上のことだけを書いている。それだけでも、じゅうぶん、迫力がある。


 まず、ミッドウエーに行けと言われたとき、なんでミッドウエーなのか教えてくれなかったそうな。極秘だったらしい。でも、ニミッツには筒抜けでしたね。


 最上は、三隅という船と二人(ついこう言ってしまうのよねー)で、ミッドウエーを目指した。最上は、一万トン級の船。大和よりは小さいけど、何百人も乗ってる。


 昭和17年、6月6日、攻撃は始まった。しかし、この日は、爆弾は命中せずに終わった。次の日は、当てられる。砲塔が一つ吹き飛ばされ、そこにいた人たちが、やられた。ということをくわしく書いてあります。リアルに伝わってきます。


 三隅は、沈没させられてしまう。最上は、応急処置をしながらも、逃げ切る。やられた人たちは、水葬にする。ここも、詳しく書いてある。映画とかだと、ワンシーンでしょうね。


 ミッドウエーの全体像はわからなかったが、最上の時間を辿ることで、別角度の知識が得られた。戦争って、いけませんね。


 その後修理されて、最上は別の艦長が来て、最後は、19年、レイテで沈没となります。


 三隅は、とどめを、潜水艦に撃たれて沈没するが、その潜水艦は、三隅から海に漂ってる人たちを助ける。捕虜としてだけど。捕虜は、戦後、国に返してもらえる。


 昔、戦争に負けたら、奴隷にされるのだと思ってた。どこでだれに洗脳されたんだか。でも、日本人て、捕まったら即拷問死刑みたいに思ってなかった?戦争のお約束で、そこまでひどいことしちゃいけないってのがあるみたいですね。もっとも無視する人もいるわけですが。


 などなど、一冊のうちの1/4の手記だけど、堪能です。写真本が、少し眺めやすくなってきました。しかしまだミッドウエーの一部だ~。奥が深いぞ太平洋戦争。

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