昭和19年。負け続ける日本。 でも、当時は、情報がちゃんと伝わってなくて、過大報告が多かったので、東京にいる東条総理には悲惨さがわからなかった。いや、現場だって、アメリカがどれだけの規模になってきたかわかってない。 あと少しで逆転できたはず。と思ってしまうのも仕方ない。 しかし。いやまあ、... 続きをみる
2020年12月のブログ記事
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昭和18年、三菱は、名古屋の工場で飛行機を作っていた。 昔、漫才で、地下鉄は作ったらどうやって運んでくるの?とかいうのがあって、どういうオチだったんだっけ。地下で作ってないよねえ。今も謎だ。 飛行機は、作ったら、飛ばして空港に持ってくるのよね。 と、簡単ではない。 名古屋工場には、滑走路... 続きをみる
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アメリカは、最初、零戦にやられてた。ゼロ戦は、小回りが利いて、すぐ逃げられる。アメリカの戦闘機は、大きくて頑丈だけど、爆弾に完璧というほどでもない。 マッカーサーは、フィリピンにいたとき、真珠湾が奇襲されて大変だと知るが、日本がそこまでとは思わず、油断してた。そしたら、フィリピンもヤバいじゃん... 続きをみる
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昭和18年は、負け続けた。いや、19年、20年もだけど。 昭和16年12月、真珠湾攻撃の後、アジア進攻がうまくいき過ぎたので、負け始めたとき、負けてるのがわからなかったのね。 昭和17年7月に、ガダルカナルに滑走路作ったのをピークに、負けが始まった。 でも、一方的でもない。だからよけい、が... 続きをみる
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昭和18年4月18日、五十六の乗った飛行機が、落とされた。 アメリカは、五十六がいつどこに行くかという無線を解読して、待ち伏せていた。日本は油断していたのであった。 無線解読は、17年6月のミッドウエーでやられたのに、凝りてなかったのか。 アメリカのニミッツは、「復讐作戦だ」と言い、ハルゼ... 続きをみる
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まだ若い中尉がガ島へ行った。10月9日の夜、着いた。浜辺で、原住民だか、枯れ木のように痩せた男がヤシを拾っている。男は、中尉たちに気が付くと、喜んだ。彼は、ガ島に一番最初に来た兵隊だった。司令部まで4里あるという。(えーと、一里って4キロだっけ。ひえー) 中尉君は、独身で、やる気まんまんだった... 続きをみる
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ガ島の日本軍はもうダメダメになっていた。 昭和17年、12月ごろ、空から、ビラが巻かれてきた。降伏しなさい。捕虜の待遇はちゃんとします。食糧たくさんあります。戦争が終わったら日本に返してあげます。という甘いささやきが書かれてある。 それは、嘘ではないのだが、日本人は信じてない。捕虜になるぐら... 続きをみる