ソルボンヌK子のブログ

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大東亜戦争21:昭和18年

 昭和18年は、負け続けた。いや、19年、20年もだけど。


 昭和16年12月、真珠湾攻撃の後、アジア進攻がうまくいき過ぎたので、負け始めたとき、負けてるのがわからなかったのね。


 昭和17年7月に、ガダルカナルに滑走路作ったのをピークに、負けが始まった。


 でも、一方的でもない。だからよけい、がんばってしまう。


 零戦で戦って、帰ってきたパイロットから、落とした敵機の数を聞く。合計20機と出る。しかし、アメリカの記録では、2機だったりする。


 これは、2~3機のゼロ戦が、1機のF6F(ヘルキャット)を攻撃し、3人が、自分が落としたと言ったりするから?もしくは、ちょっと火を噴かせたら、落ちるとこまで見ないで、落としたと言ってしまうとか?でも、アメリカさんも、多めの数を言ってたらしい。


 しかし、零戦とヘルキャットの対決、どんどんヘルキャットのほうが強くなる。もっとも、生産の数が違うし、零戦は補充が少なくなってくるし、1対1の戦いじゃなくなったせいもある。


 昭和18年2月、ガダルカナル撤退後、そのあたりの島がどんどんやられていった。


 アメリカは、日本本土の空襲をしたかった。それには、近所に基地を確保したい。


 マッカーサーは、ニューギニアからフィリピンというルートで攻めたいと言った。


 ハルゼーは、太平洋の島をつぶし、サイパンを狙うほうがいいと言った。


 どっちも頑固で譲らない。ニミッツは、じゃあ、どっちもやろうぜと言った。


 どっちも同日に攻撃が出来るほど、アメリカはたくさん船や飛行機を作ってた。


 日本は、石油とかを持って帰る船を攻撃されたりして、材料が確保できなくなってた。


 でも、欲しがりません勝つまではの精神で、がんばっちゃうのよねー。アメリカの財力が見えないし。


 昭和18年、11月、マキン島玉砕。玉砕って、零戦とか全滅で、上陸してくるアメリカ兵に撃つ弾もなくなり、刀を持って突撃(バンザイ突撃)することですね。絶対死ぬのに。捕虜になるぐらいなら死ぬほうがいいと刷り込まれてたからね。


 タラワ島も玉砕。ラバウルも空襲が始まった。しかし、日本では、負けた負けたとは報道してない。ゼロ戦がヘルキャットを20機も落とした、軍艦を4隻も撃沈したと新聞には書く。自分ちはその何倍もやられてるとは書かないで。


 現場の人たちは、命令だから、戦う。作戦立てる上の人は、真珠湾の夢をまだ見ている。五十六が生きてたとしても、同じだったかも。


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