大東亜戦争23:牛車でゴー
昭和18年、三菱は、名古屋の工場で飛行機を作っていた。
昔、漫才で、地下鉄は作ったらどうやって運んでくるの?とかいうのがあって、どういうオチだったんだっけ。地下で作ってないよねえ。今も謎だ。
飛行機は、作ったら、飛ばして空港に持ってくるのよね。
と、簡単ではない。
名古屋工場には、滑走路がない。
近所の空港は、岐阜の各務原というところまで運ばなければならない。
当時の日本は、その48キロは、アスファルトでも、鉄道でもなく、砂利道だった。
トラックで運ぶと、戦闘機の機体にヒビが入り、使用できなくなった。
なんと!牛車で、24時間かけて運んでいたそうな。
こりゃあ、負けるわな。
名古屋の工場に、空港作るか、各務原に工場作るかしろよ~!
空港は作らなかったが、工場は増設した。零戦たくさん作らなきゃいけなくなったのです。その増設に、砂利が必要となるが、砂利を採ってくる人がいないという。三菱の担当が、いつも砂利を採っている人のところに行く。
「砂利を採ってる船頭は、全員、三菱さんに徴用されて、飛行機組み立ててますわ」
と言われた。
あわてて、その船頭たちを帰宅させ、砂利を採っていただく。その小舟をひく蒸気船も、お国から調達してもらう。
現場って、いつもてんてこまい。作戦本部にはわからない。
こうやって、零戦の次の戦闘機、雷電や烈風は作られ、牛車で運ばれたのでした。
こりゃ負けるわ。