大東亜戦争24:サイパン玉砕
昭和19年。負け続ける日本。
でも、当時は、情報がちゃんと伝わってなくて、過大報告が多かったので、東京にいる東条総理には悲惨さがわからなかった。いや、現場だって、アメリカがどれだけの規模になってきたかわかってない。
あと少しで逆転できたはず。と思ってしまうのも仕方ない。
しかし。いやまあ、私がどうこう言えるものではないすね。
ところで、サイパンて、猫か豹のような形をしておりますのね。かっこいい。
そして、軍艦島って、ここにあったのね。ワタクシ、着々と、東南アジアと太平洋の島にくわしくなっています。
サイパンには、一般の日本人もたくさん住んでいた。その人たちも、捕虜になったら何をされるかわからないと教えられていた。
サイパンの北の岬に追い詰められた人たちは、捕まるぐらいならと、身を投げる。兵隊はバンザイ突撃をして当然玉砕する。
サイパンだけじゃなく、このあたりのいろんな島が同じ運命だった。サイパンは特にたくさんの人がいた。
さらに。サイパン撤退しようと、上のものが決めたのが、なぜかサイパンの兵に伝わってない。という、無駄死にもある。踏んだり蹴ったり。
サイパンは、昭和19年、7月7日、玉砕しました。七夕の日にサイパン追悼をなぜやらない?って、言ってたら、他の島々の玉砕追悼が一年中になってしまうのかも。
アメリカは、サイパンを奪い、基地を作り、B29をたくさん運び、さあ、本土空襲のはじまりです。