ソルボンヌK子のブログ

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大東亜戦争11:真珠湾の「秋雲」後編

 日本時間の12月8日。ハワイでは7日早朝。飛行機は船から飛び立った。著者は、秋雲の砲術長さんなので、健闘を祈るしかない。


 8時半、報告が来た。「トラ・トラ・トラ」!


 船に攻撃が来るかと思ってたが、来ない。秋雲は小さい船だから、相手にされなかったのかも?


 昼過ぎ、飛行機を収容し、北上せよとの連絡が来た。秋雲から飛んでいったゼロ戦は、みんな無事に戻ってくる。避退開始。


12月10日 山本五十六より、ミッドウエー攻撃の命令が来る。ミッドウエーに向かう。天気は荒れ、強風、怒涛。浸水するので、人力ポンプでくみ出す。堅パンが主食になり(揺れるので)、時々握り飯。手すりにすがって食べる。


14日 夜食はドーナツ(船の中で揚げるんじゃなくて、作ったものを持ってきてたの?うねりはまだ続いてる)。りんごが減ってきた。


15日 ウェーキ島の作戦が進行しないので、ミッドウエー攻撃は中止となる。みかんの貯えが皆無となる。


17日 夜食は、缶詰のユデあずき。(汁粉作るのがめんどくさくなったか)


19日 やっと晴れる。


20日 夕食に、とっておきのりんごの配給。


21日 夜食の汁粉の味もまたかくべつ。(日本までもう少しとなったからね。)


22日 飛行機が先に、飛んで帰る。夜食はクズマンジュウ。じつにおいしい。


23日 広島湾に仮泊。入浴し、士官室で祝杯。


24日 呉港到着。上陸し、料亭グリーン食堂で秋雲の艦長の送別会。(横文字まだオッケーなの?新宿に、韓国料理で、グリーン食堂って店があったが……)


 そして、この日記のまとめとして、次のように書かれてある。


 秋雲には、実に優秀なコックが配属されたものと感謝している。この作戦行動中、どれほどの士気を鼓舞してくれたか、その苦労を謝し、その功績を大いに讃えたい気持ちでいっぱいである。


 いいですねえ。全然真珠湾攻撃の迫力が伝わってこない戦記だったけど、りんごがなくなってくる緊張感は伝わってきました。戦争の士気を高めるには、汁粉とおはぎとリンゴですね!ドーナツもね!

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