大東亜戦争14:ガ島1
昭和17年6月のミッドウエー海戦以降、負け続ける日本。まず、ガダルカナルの負けを書いてみます。
全体像としては、昭和17年5月にガダルカナルに乗り込み、ここに飛行場を作り、基地として活用するというのが目的だった。
でも、それって、アメリカも、同じこと考えてるわけです。ガ島に基地があったら便利~。でも、日本が先に作り始めちゃった。
しかし、アメリカは、大国だ。欲しがりません勝つまではの日本よりお金持ちだ。真珠湾は奇襲に負けたけど、フィリピンもヤバいけど、反撃はこれからだ。飛行機改良してがんばるぞ。
日本は、ガ島に、3万人送り込み(トータルで)、2ヵ月で滑走路作った(ツルハシとスコップ状態で)。
そこにアメリカが上陸し、爆弾どっさり落とし、奪ってしまう。
日本は、輸送船も撃沈され、食糧が届かない。ガ島の兵隊さんたちは、困った。原住民とかそんなにいないので、現地調達がままならない。海岸にはヤシがあるが、密林には何もない。アメリカの攻撃に、逃げ込んだジャングルで、飢えとマラリアとの戦いが始まる。
アメリカは毎日のように爆弾攻撃をし、日本を追い詰める。
日本の大本営(東条さんとか)が、ガ島撤退したほうがいいと思ったのは、年末だった。
3万人の兵隊は、1万人ぐらいに減ってたが、この1万人を、こっそり脱出させることとなり、2月に完了。1万人の半分は病気とか負傷してた。
というのが、大体のあらすじで、この後、個人の戦記とか、恨みとか、地獄日記とか書いていきます。餓島を知ることで、わかることは、現場を知らないものはバカだってことですね。ガ島に限らないけど。