大東亜戦争17:ガ島4
ある軍医が書いた記録がある。その軍医は、10月下旬ごろ、ガ島に到着した。
すでに、ガ島は、空港がアメリカに取られ、日本軍は密林に逃げ、隠れて攻撃していた。
病院という、名ばかりの小屋には、患者が溢れており、そして、薬は足りなくなっている。手術道具もろくにない。
軍医のところに、患者が運ばれてきた。爆弾にやられた負傷兵だ。自分で縛った三角巾を取ると、血がどくどくと流れ出し、患部には、ウジがわいている。
軍医はウジをピンセットでつまみ出す。小指ほどもある大きさだ。そして、赤チンを塗った。それが、軍医にできる治療だった。負傷兵は数日後死亡する。
軍医ももれなく熱が出た。血便も出た。赤痢だかマラリアだか判断が難しい。マラリアの特効薬キニーネは、残り少ない。今日も、輸送船が沈没したという。
軍医のいる場所が危険になってきたと言われ、さらに奥地へ逃げることになる。軍医は杖をつきながらなんとか歩けるが、歩けない患者たちは、運びきれない。後で来ると言って、歩けるものだけで移動した。
密林はマラリアの蚊が無数に飛び、川には日本兵の死体が浮かび、水が飲めない。赤道に近いが夜は寒い。本土からの命令は、飛行場を取り戻すための攻撃をしろ。応援の船や飛行機が来るには来るが……。
そんな状態が続き、2月初め、軍医はなんとか帰りの船に乗ることができた。