ソルボンヌK子のブログ

ハングル文字、簿記・税理士受験関係など

大東亜戦争26:フィリピン沖海戦

 昭和19年10月。フィリピンの下のほうに、レイテ島があり、そこを攻撃しようということになった。あの大和や武蔵も出撃する。


 10月22日、栗田の乗った船が沈められ、栗田は泳いで別の船へ。そのあと、戦艦大和に移動する。大和も武蔵も攻撃されまくっているが、さすがになかなか沈まない。


 しかし、24日、ついに武蔵は命が尽きた。大和で、その知らせを聞いた、栗田の部下、宇垣は、明日のわが身だと思った。


 その日の夜、アメリカ軍のハルゼーは、栗田艦隊を見失った。ハルゼーは、武蔵の沈没もまだ知らない。日本軍が、もっとすごいに違いないと思っている。


 フィリピンの北で、小沢が、自分が囮になってハルゼーを引き寄せるから、栗田さんはレイテに突入してくださいと電報を打った。


 ハルゼーはこれにまんまとひっかかり、北へ急ぐ。ミッチャ―は、ハルゼーに無視されて、呼ばれないので、寝てしまったそうな。


 10月26日、栗田は、レイテ湾に向かう。飛行機で敵を探す。空母を見つけてきた。戦闘開始である。空母から零戦発進。なんと、撃沈したと報告が来る。


 しかし。栗田はレイテ湾に突入せず、艦隊に、反転せよと命令を出し、そこから去る。


 これは、謎の反転と言われた。栗田は、戦後も生き残って、この反転の理由を説明してるが、それによると、小沢からの電報が夜まで来なかったので、ハルゼーたちが全員いると思った。レイテ湾で撃沈した空母が、護衛空母という、小さい船とは思わなくて、このまま突っ込んでいったら、武蔵のようにやられると思った。など言ってます。


 そういう理由だったら、別に謎とか言って責めなくてもいいんじゃないの?と私は同情するけどなあ。まあ、そういうことで、せっかくのチャンスを逃したというわけです。


 レイテ湾の小さな空母のキンケイドは、栗田艦隊にビビり、ハルゼーに電報を打った。これはすぐ届く。ハルゼーさん今どこ?守ってくれるんじゃないの?ハルゼーは「北上中」と返事。これを知ったハワイのニミッツは、ハルゼーに、何してんだと電報を打つ。


 ハルゼー、やっと気づいたか、小沢のほうは、ミッチャーにまかせて、南下する。が、栗田は逃げたあとだった。


 ところで、この10月は、カミカゼが登場した月でもあります。10月25日、特攻隊長の関が、成功している。それが、キンケイドの艦隊の船だっけ。ちょっと整理できてなくてすいません。


 フィリピン沖海戦は、撃沈の自慢が誇大報告され、東京の上層部はまだ挽回できると喜んだ。あーあ。


×

非ログインユーザーとして返信する