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大東亜戦争27:ロケット戦闘機秋水完成

 昭和19年、7月にドイツから命がけで持ち帰ったジェットエンジンの資料は、三菱の名古屋の工場で製作が進められ、ロケットエンジンの戦闘機秋水が、12月初めに、完成した。


 テスト飛行は、12月13日の予定となった。


 その前に、零戦の産みの母、堀越の苦心作の烈風も、三菱のエンジンにしていいと言われ、なんとか完成していたが、テスト段階ではまだ事故が多かった。


 ちなみに、名古屋工場にはやっと、滑走路が出来ていて、牛車で運ばなくてもよくなってた。12月6日、「これならグラマンと戦える」と言ってもらい、堀越さん、
「日陰者同然の身であった烈風も、寵児となる日が近い」と喜んだ。


 しかし、11月ごろから、日本本土に、B29が空襲に来るようになっていた。東京の中島武蔵工場が狙われる。
「次は名古屋だ。きっと、12月8日の開戦記念日に来るぞ」とうわさが流れた。


 その前日の12月7日。午後1時36分。ゆっくりぐらぐらと揺れが来た。その10秒後、大きく来た。


 飛行機の工場は、あちこちにあった。昔の紡績工場を改装した建物は、広くするため、柱を取っていた。紡績工場時代、女工たちが逃げないように、工場のぐるりを幅2メートルの堀が掘ってあり、そのままだった。その堀から水が噴き出し、落ちてきたレンガもろとも工員たち(東北から学徒動員で来た15歳ぐらいの男女)が埋没した。


 地面が波打ち、地割れが走り、人を呑み込み、閉じたり開いたりする。秋水がある建物は天井が落ちた。


 新聞社は、これをどう書くか、軍部に問い合わせると、アメリカに知られれはならないと言われ、小さく、天災に怯まず復旧していると書いた。この地震の被害は、工場だけで、死者156人も出た。が、全国の人は戦後まで知らなかった。


 アメリカでは。ハワイやカリフォルニアで、地震波という津波が観測され、日本の中部で大地震があったとわかった。これは天罰だと、思ったそうな。


 12月13日、秋水の飛行テストは延期である。名古屋の初空襲も来た。工場を破壊したら戦闘意欲がなくなると、工場が優先的にやられる。意欲じゃなくて、戦闘できなくなるんですが。


 しかし、秋水は、昭和20年1月に、テスト飛行成功した。烈風は事故が続く。


 零戦は、昭和19年10月25日に、初特攻してから、特攻は日常化していた。本土では、B29に、体当たりしていた。で、B29が落ちるから、まだ勝てるかもしれないと思ってしまうらしい。


 かくして昭和19年は暮れ、昭和20年が明ける。次回、沖縄と大和の最期に続く。


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